わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。
これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、
しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、